令和7年11月27日(木)、ちとせ市民ふくし講座【地域づくり編】を開催しました。

今年度は、講師に街歩き研究科/北海道科学工学部都市環境学科客員教授の和田哲さまをお迎えし、「北海道・千歳おもしろ歴史散歩」と題して古地図や古写真、道路のずれなどユニークな視点から北海道や千歳の歴史のふしぎをお話していただきました。

 

講演では、日本で唯一の中央分水界についてのお話や、「千歳」という地名の由来や、現在もよく観察すると残っている初期の空港の痕跡についてなど、千歳の歴史や地理的特徴を身近な視点から分かりやすく解説いただき、参加者にとって地域の魅力を再発見する貴重な時間となりました👀✨

 

【日本で唯一の中央分水界】
川の水が最終的にどの海へ流れ込むかを分ける場所を「中央分水界」と呼びます。

通常はアルプスなどの山岳地帯にありますが、千歳市では珍しく平坦な道路が分水界となっています。

 

それが、千歳川と美々川の間にある国道258号線です。

千歳川側は日本海へ、美々川側は太平洋へと流れ込みます。

日本の地質学において極めて希少で、日本で唯一の道路上の中央分水界が、千歳市に存在するという、地理的にも大変興味深い事実が紹介されました。

 

【『千歳』の由来】
かつて千歳川は「シコツ(支笏)川」と呼ばれていましたが、その響きが「死骨」を連想させ縁起が悪いとされ、改名が必要となりました。

 

川には多くの鶴が生息しており、鶴は「千年」にちなむことから「千歳川」と名付けられ、町の名前も「千歳」となりました。

 

【千歳の歴史を語る上で欠かせないオクラホマ景気】

海軍の航空基地ができ、技術者などの流入によって人口は急増し、約五千人だった人口が一万人を超えました。戦後、アメリカ軍が千歳基地を接収すると、溢れかえるほどのアメリカ軍が訪れ、千歳の繁華街で多くの人が消費を行いました。後の新橋通りや有楽通り、用水通りなどには屋台が並び、街は活気に満ちていきました。

さらに、逼迫する兵舎の建設に伴い、多くの作業員や通訳、運転手などの雇用が急増しました。その噂は全国に広がり、各地から人が集まるようになり、周囲から詮索されにくい地域として「どさくさに紛れて居心地の良い場所」としても栄えていきました。しかし、やがて米軍基地で働く日本人の大量解雇が始まり、多くの失業者が生まれました。その救済策として新たな雇用を生み出すために工業団地が整備され、航空や札幌、港湾へのアクセスの良さから企業の進出が進み、千歳は工業の街へと変貌していきました。

こうして千歳が発展するきっかけとなった、当時多くのアメリカ軍を送り込んだ部隊の名称「オクラホマ州軍」に由来して、この時代は「オクラホマ景気」と呼ばれるようになりました。

 

参加された方からは、「今まで知らなかった千歳の歴史を知ることができたので良かった」、「もっと千歳の話を聞きたい」、「古地図や古写真などおもしろい視点で北海道や千歳の歴史を知ることができた」などの感想をいただきました😊

 

和田さま、ご参加いただいた皆様ありがとうございました✨